きおく


韓国ドラマでは交通事故がよく出てくる。
同時に鍵となるのが「記憶」。
事故で記憶が失われたり,取り戻されたりする。


話題となった「冬ソナ」でも,今見ている「天国の階段」でも
(まだ韓国ドラマ見てたのか,と突っ込まれそうだけど)
事故で死んだと思い込んでいた恋人と酷似した人が現れるのだが,
その人が実は,記憶を失って別人として生きている恋人なのである。
登場人物は,死んだ恋人をずっと想い続けながらも,
別人として出会った場合にもやっぱり恋に落ちる。
つまり,同じ相手を二重に愛するのだ。
もちろん,最後には記憶が取り戻され,この二重性が統合される。


でも,普通に考えると,いくら記憶を失ったからといって
「別人として生きる」なんてことないだろう,と思う。
普通は「記憶を失った」と自覚するし,
周りの人間もそれについて説明して回復へアプローチしていくだろう,と。
そうならないのが韓国ドラマ。
本人を取り巻く家族内の葛藤が相当に強烈で
別人として生きざるを得なくさせるのだ。


登場人物が記憶を失い,二重性を生きることで,この葛藤が露わになり,
記憶を取り戻し,二重性を解消する過程で葛藤が解きほぐされていく。
やたらと「記憶喪失」が出てくる背景にはそんな意味があるのではないかと
思ったりした。どうでもいいことだけど。