社会の中の私

土日は研究会だったのだけれど土曜はお休みして日曜のみ出席。
私の発表は土曜だったので友人に原稿を代読してもらった。
今回の研究会のプログラムは
「心を商品化する社会」(小沢牧子著)と
「心理援助の専門職になるために」(コーリィ著・下山晴彦訳)を
ネタにしたシンポジウム2本と
症例検討,そして主催者である82歳の師匠のお話。
盛りだくさんだった。


一番感じたのは,「社会の中で臨床を行っているのだ」ということ。
小沢氏の言うように,
確かに心理職は個人の気持ち,「心」に目がいきがちだと思う。
でも本来は,相手の生活の場をトータルに理解し,
その中で必要な援助を的確に行っていく必要がある。
特に私たち世代のように,
比較的あっさりと「専門家」になれてしまう世代は気をつけないといけない。
話題提供ではそういうことを小学校の事例を挙げて話した。
そのわりに,実際に症例を理解していくときには,私は
クライエントの生活を具体的に想定することができていなかった。
それに比べてコメンテータの先生達は,
クライエントの語る生活に次々と疑問符をつけていった。
詳しいことは書けないけれど,例えばご近所付きあいとか家計のやりくりとか
社会生活の側面に目を向けて,相手の語りに違和感を覚えるには,
自分がちゃんと社会生活をおくって一般的な生活観を身につけていないと,
クライエントのずれが認識できないものだと思う。
師匠は戦争体験者であることもあって,
いつもいつも「戦争」を語り「社会との接点を持て」というのだが
どうしてそれが心理臨床と関わってくるのか,よく分かった気がした。


夜は友人たちと女性のライフコースについて話し合う。
当然ながら学部の頃とはえらく話題が様変わりしていてなんだかおかしかった。
全員ブーツを履いていたので帰りに履くのに苦労しながら
「あ,全員ブーツだね」
「うん,寒いからね」
「うんうん」
とすっかりおばあさんのような会話になっていたり。
それでもみんな揃って女としての人生設計を考えてしまうというのは
一つの「発達」であり,また社会に生きるゆえでもあるのかな,なんて考えてしまった。
そしてこれまた臨床でのクライエント理解にも,逆転移にもつながるわけで
大事なことだなーと思ったりしたのだった。