1日目

1日目は午後に「外国籍児童の教育」のWSに参加。
外国籍児童が多く在籍することで有名な群馬県太田市の現状が報告され,
第二言語習得論,認知心理学の立場から理論的考察がなされた。
現場では,外国籍児童が日常会話的な「生活言語」はできるようになっても
授業にはなかなかついていけず,
それは「学習言語」が習得できていないということではないかという話だった。
議論の時間が十分になかったので惜しかったのだけれど
全体を通して,「学習言語」の水準をもう少し整理する必要があるように感じた。
それから外国籍児童に関わらず,「学習言語」の問題は,ある水準では
軽度の発達障害の子どもにもあるだろうし,
幼小,小中などの移行期にも生じるだろうなぁと連想していた。


夕方は,北山修先生の話を聴きたいというミーハー心もあって「詩と対話」に参加。
実は,北山先生の書いたものはもちろん読んだことがあるが
実際に話を聴くのは初めてだ。
「うた」ができるのはいつだろう,という話から,
「旅」というメタファ,そして「睡眠と覚醒のあいだ」について。
内に引きこもりもせず,外界に過剰適応することもなく
そこで「遊ぶ」ことができるのが健康で,
クライエントはそのあたりで苦しんでいるのではないかということだった。
当然といえば当然なのかもしれないけれど,
ご自身の体験を元に話されていながら,
必ずクライエントのことにつながっていくのがさすがだなぁと思った。
自然と話を聴きながら
私自身も病院や学校の臨床現場で出会う人のことに思いを巡らせた。


このWSは,ほかの登壇者のお話もものすごく迫力があった。
どの方も「ことば」のリズムや共鳴性,
「ことば」にならない何かが鍵になっていたように思う。
なかでも南博文先生の発表には圧倒された。
「都市の精神分析」をテーマに
ご自身がNYに滞在されていたときに撮った街の写真や
幼少期の写真を数枚スクリーンに映し
時代と共に「場」が姿を変えていくことの意味が語られた。
ことば以上に写真の持つ迫力が本当に大きくて,釘付けになってしまった。


ただ,どの発表も「私」が前面に出ているような気がして
なんとなく違和感みたいなものもあった。
質的研究の領域,これからどうなっていくんだろう…。