なわとび


子どもの頃,運動音痴な私も,縄跳びだけは得意だった。
練習の道具も場所も入手が容易で練習しやすく,
一人でコツコツ努力してさえいれば
必ずできるようになる類の運動だったからだろう。


そんなわけで,
子どもに「あや跳びができな〜い。教えて〜」などと
アドバイスを求められると,
つい「腕をもうちょっと深く交差して!」とか言ってしまう。
そうこうしているうちに,
子どもの側も「言うのは簡単だけどもさ・・・」と思ったのか
「やってみて」と言い出した。
むむ。いくら得意だったとはいえ縄跳びなんぞ十数年やっていないぞ。
不安を感じつつやってみると,やはりつっかえる(汗)。ま,まずい。
「あれ,おかしいな。ちょっと待って」と数回チャレンジしているうちに
無事に跳んで見せることができた。ふぅ〜。
そんなわけで,今日はすっかり疲れてしまった。


こういう関わりが子どもにどんな影響を与えているのか
私はどういう存在として認識されているのか
常に考えながら観察しているわけだけれど
おそらくは「先生」でありながら「先生」ではない
微妙な位置にいる境界人として感じられているのだろう。